新卒採用

先輩社員紹介

システム技術本部

入社年:2020年
出身:理学部 応用物理学科

営業技術職(SI) 社員インタビュー

ご自身のことについて教えてください。

大学時代は応用物理学科で学んでいました。研究室では新型メモリReRAMという、現在PCなどあらゆる機器に使われているメモリ(フラッシュメモリなど)とは全く異なる原理で動作するメモリについて研究していました。世界中で広く研究されていますが、いまだに直接的な原理の解明がされていない研究分野です。映像系については朋栄に入社するまで一切触れたことがありませんでした。

朋栄を知ったきっかけと、入社を決めた理由を教えてください。

元々大学院に進学するつもりだったので、ほとんど就職活動はしていませんでした。朋栄は、採用担当の方が大学の就職課に送ったメールが転送されてきて初めて知りました。入社を決めた理由は感覚です。本社に訪問して、何人かとお話しした際に肌に合うかなと感じたため、入社を決めました。

映像系の知識がないなかでの就職は不安ではありませんでしたか?

不安はありませんでした。経験者や有資格者を対象にした求人ではなかったので、仕事をする上で必要な知識は教えて頂けると思っていましたし、実際に教えて頂けました。

研修期間はどのような研修をしましたか?

朋栄は全く身近にはない、プロが使う機器やシステムを作っている会社なので、どんな仕事をしているのか、どんな製品をどんな顧客に販売しているのかなどを一から勉強しました。

印象に残っている研修を教えてください。

各部署の業務体験です。私は営業技術本部所属ですが、この研修では営業本部や企画室、輸入グループ、朋栄のグループ会社といった、今後体験できないであろう別の部署の業務を体験することができました。

研修中大変だったことはありましたか?

4人1組で簡易的なシステムを組んで売り込みのシミュレーションを行った最後のグループワークが一番楽しく、一番大変で、一番印象に残っています。私のグループでは大学等で何度もプレゼンをした経験があったのは私だけでした。そのため主に私がリーダーになって作業を進めることになったのですが、グループワークなので私1人で行うわけにもいかず、ただ時間は限られていたので作業は早く進めたいというそのバランスを取るのが大変でした。

グループ内でのバランスをとるために工夫していたことはありますか?

できるだけ皆の意見を否定せずに、個人的には効率が悪いなと感じてもまずはやってみること、それと並行して上手くいかなかった時のことも考えて準備を進めること、この2つを心掛けました。

研修中大変だったことはありましたか?

コロナ禍で在宅研修を行った約二か月間の最初の数週間、在宅を余儀なくされたときにモチベーションを保つのが大変でした。そのため、休憩をこまめに入れたり、伸びをしたり、Yシャツに着替えたりして気分を入れ替えながら作業をしていました。

研修を振り返ってどのようなことを感じますか?

研修を終えたらすぐに戦力になれるわけではないけれど、朋栄の製品カタログを見ても本当に何もわからなかった最初に比べると、研修を終えた後は理解できていることが増え、成長を実感しました。

配属されて約2ヶ月ですが、現在のお仕事の内容を教えてください。

様々な先輩の業務を、その都度指示、説明を受けながら学んでいます。1か月以上にわたって大規模なシステムの立会検査の準備をしたり、実装図から消費電力を算出し、表や系統図を作成したりしています。立会検査とはテレビ局にシステムを納入する前に、大きなスペースに納入するものと同じシステムを組み上げて、発注と差異がないことや不都合、不具合がないか確かめてもらうために行うものです。テレビ局に納入した後に大きな不具合が発生すると放送事故につながる可能性があるので、準備を非常に細かく行っているという印象を受けました。

現在のお仕事の中でどのようなときにやりがいを感じますか?

1か月以上にわたって(人によっては半年以上)作業をした大規模なシステムの立会検査が終わったときは達成感を感じました。

これからの目標を教えてください。

最終的には営業技術本部内で最も製品への理解度が深い人になりたいです。先輩方の仕事を一部担当するだけでも、扱う図面や表が情報の塊なので、なぜそうなっているのかをしっかりと考え、質問して、一つ一つ解決していき、確実に理解を深めていきたいです。

学生の方々に一言伝えるとしたらどのようなことですか?

高校生にも大学生にも社会人にもそれぞれ別の種類の大変さや重圧があると思いますが、自分の自由にできる時間というのは学生が持っている最も大きな権利だと思います。将来のために何かするのもいいですが、自分が楽しむことも忘れずに学生生活を過ごして下さい。

ありがとうございました。
(2020年9月インタビュー)